石川 啄木 (1886~1912)玉山村生まれ
1902(明治35)年10月、啄木は旧制盛岡中学の同級生であった黒沢尻の小澤恒一宅を訪ねました。中学を中退し、文学で身を立てるために上京する直前の時期で、後に妻となる堀合節子との恋愛に悩んでいたころのことです。二人の恋愛に関し小澤は親身になって話を聞き、ともに夜の九年橋を歩きました。啄木は後にその時のことを、小澤への大きな感謝の念を込めて日記に綴っています。
小澤恒一(1883~1963)は黒沢尻(北上)で生まれ、早稲田大学などの教授を歴任、教育や国民性に関する研究の傍ら、『久遠の青年啄木』など、啄木を偲ぶ著書も残しています。盛岡中学では啄木らとともにユニオン会(英語の自修会)を組織し、中学時代の最も親しい友人の一人でした。この歌碑は二人の友情の記念碑と言えるでしょう。
詩は、「スバル」の1990(明治43)年11号に発表され、同年12月刊行の歌集『一握の砂』に収録されています。活字はこの歌集から採り、また署名は自筆のサインを刻んでいます。(場所:帰帆場公園 2002(平成14)年 北上市教育委員会建立)
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