「民俗芸能の宝庫」と言われる北上市には「鬼剣舞」をはじめ、「神楽」「鹿踊」「田植踊」など多種多様な民俗芸能がそれぞれの地域に伝承されています。
伝承活動を行っている北上市内の団体は100を超え、その数は岩手県内随一であり、日本でも有数の規模を誇ります。
そんな北上市に多彩な民俗芸能の文化が花開いている理由は、北上市が南部藩と伊達藩の藩境に位置していたため。当時、藩境は厳重に警備され、簡単には行き来もできず、経済的にも文化的にも交流は閉ざされていました。しかし、一方でこの地には北上川という大河が流れ、南部藩最大の港であった「川岸港」があり、秋田領にも通じる交通の要衝でもあったため、川の道を通じて経済と文化の交流も行われていました。
そのため、藩境では南部藩・伊達藩それぞれの民俗芸能が受け継がれる一方で、他領との民俗芸能の交流も行われていた川沿いの集落には、本来はその地になかった民俗芸能が定着したと言われています。
そうして多種多様な民俗芸能が育まれていった北上市では、現在もそれぞれの地域でそれぞれの団体が伝承活動を行っており、民俗芸能の伝統が年長者から若者へ、子どもたちへと受け継がれています。
そうした民俗芸能の多種多様な魅力に触れられるのが、北上市で毎年8月の第一金曜日から3日間にわたって開催される夏のビッグイベント「北上・みちのく芸能まつり」です。例年、北上市を中心に県内外から100を超える民俗芸能の団体が集まり、街のアチコチでそれぞれの地域に受け継がれる伝統の舞いが披露されます。
それを楽しみに多くの観光客が訪れることはもちろんですが、日頃の練習の成果を多くの観衆に見てもらうことで、それが励みとなり、民俗芸能の伝承活動の活性化にもつなげています。
多種多様な民俗芸能の豊かな文化を未来へ。北上市で民俗芸能の多彩な魅力に触れてみませんか?
太刀や扇を使い、頭や腰を巧みに動かしながら勇壮に、ときには華麗に踊るこの芸能は、長い伝承の歴史の中で愛された庶民の芸術作品といえます。
鬼剣舞は仮面をつける脱垂(ぬぎだれ)剣舞の一種です。その祖は大宝年間(701~704年)に修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が念仏を広めるために、念仏を唱えながら踊ったのがはじまりとも言われるなど、諸説あります。しかし、伝承の過程で蝦夷の豪族安倍氏との関わりなどが加わり、先祖供養と共に凱旋踊りとして踊られるようになり、他の剣舞と芸態が大きく変わって、種類を別に分けてます。
岩手県に伝承されている神楽の場合、山岳信仰を中心とした修験道の行者が村々に定着し、その布教の手段として修験者である山伏たちが伝承した「山伏神楽」が最も多く伝えられています。
修験道を源にしながらも、神仏分離によって多くの山伏神楽は神道の影響により仏教色を払拭しました。しかし、今なお発祥当時の芸態を残しているのが「大乗神楽」です。
山伏神楽を基本としながらも、演ずる方法にも工夫をこらして物語性を持たせ、観客を楽しませるような内容に作り変えた神楽があります。セリフ神楽とも呼ばれ、「南部神楽」として分類します。
鹿踊は鹿の供養のために始められたとされ、念仏踊として伝承されてきましたが、祈祷の目的が多岐にわたり、また芸風にも創作の手が加えられて、住民の娯楽の芸態に変化していきました。
岩手県内の鹿踊は、太鼓系鹿踊と幕踊系鹿踊の2種類が伝承されています。太鼓系鹿踊は伊達領内、幕踊系鹿踊は南部領内に伝承されています。
太鼓系鹿踊は、踊り手自身が自ら太鼓を打ち、歌も歌い、しかも重さ15キロの装束を身につけて踊る点であり一人三役をこなす芸能である。
踊り手は8人で構成され、踊手の太鼓以外の囃子方はつきません。
幕踊系鹿踊は、踊り手の全身を幕で覆い、お囃子が別につき、その伴奏によって幕を巧みに操って踊る鹿踊りです。
【参考資料】
炎の伝承 “北上・みちのく芸能まつりの軌跡”
北上民俗芸能総覧
いわて民俗芸能入門