857年(天安元年)、文徳天皇(もんとくてんのう)は胆沢城の真北にある極楽寺を準官寺の定額寺に指定し、今の岩手県地方の文化発展の中心地とした。極楽寺の周辺には東谷、西谷、北谷など36坊があったといわれ、北谷にあったこの毘沙門堂だけが平安時代の仏像を残している。
極楽寺の北谷(きただに)に祭られたもの。頭巾風の皮兜を被り、鎧を身につけているが、飾りに派手さのない、手堅い作りを示している。
左手にささげた宝塔(ほうとう)と、右手の宝棒(ほうぼう)は無くなっている。
姿は、目玉が飛び出た怒った顔をし、腰をひねり、左の足に重みをかけて、天邪鬼(あまのじゃく)という悪鬼(わるおに)を踏みすえている。
全体に穏やかな動きと緊張感が感じられる。今は白木のようになっているが、彩色(さいしき)の下地の跡をわずかながら残す。
下半身に弱いなた彫の跡がみられるが、作者がどれだけ意識したものかは不明。
1929年(昭和4年)に「国宝」指定。1950年(昭和25年)の法改正により「重要文化財」となった。
- 国見山廃寺跡(極楽寺) (国指定史跡)(きたぶら)
- 木造二天立像(国指定重要文化財)(きたぶら)
- 立花毘沙門堂(きたぶら)
- 仏像について(きたぶら)