和賀氏滅亡後、 堂社が荒廃したため南部氏が寺領を寄付し再興させ、江戸時代後半は、密宗祈祷所として繁栄、明治維新後、神仏分離令によって寺号が廃され、神社となりました。旧立花村村社。
本殿は、変則的な梁の形や地方色豊かな紋様から、江戸時代前半の建築と推定され、1990年(平成2年)5月1日、岩手県有形文化財に指定されました。指定後、1708年(宝永5年)再興時の棟札が発見され、建築年、大檀那(だいだんな)南部氏(利幹)とのかかわりなどが確証されました。
白山神社に白山信仰(修験道)、本地仏(白山権現)として伝えられたもの。
とにかく表情が豊かである。怒った顔で左手を腰にあて、右手に悩みやけがれを砕き、悟りを表するという三鈷杵(さんこしょ)を握って振り上げ、左足で岩を右足で空中を踏むというスタイル。蔵王権現像と修験道を開いた役小角(えんのおづの)が山で修業中に感じ取った姿とされ、細身のものが一般的であるが、このような肉付きの良い権現像は割合に珍しい。独特の個性が感じられる。
平安時代の衣冠束帯(いかんそくたい)男神像。造形はシンプルなものだが、顔立ちは眉間にしわが寄り、鼻は大きく膨らんでいる。
祭神は、農耕守護の神白山姫命(しらやまひめのみこと)。例大祭は4月3日と9月3日。本尊の十一面観音像や蔵王権現像(共に岩手県指定文化財)など白山宮ゆかりの文化財は北上市立博物館に展示されています。
白山神社を取り囲む鎮守の森は、きたかみ景観資産に指定されています。散策路も整備され、自然や動植物に親しむ事ができます。