岩崎城跡

  • 岩崎城は和賀氏(中世の豪族)が最後に籠った城で、和賀川と夏油川にはさまれた台地上にあります。

夏油川に面した台地の断崖は、幾度もの川の氾濫で深く削り取られています。城の大きさは南北約300メートル、東西約600メートルです。

・岩崎城跡

台地上には三つの曲輪(くるわ)が東西に並び、中央の曲輪が本丸跡で、現在は公民館が建っています。各々の曲輪は空堀(からほり)と土塁で区画されています。西端の曲輪(三の丸)の西は組小路(くみこうじ)といわれ、武家屋敷が並んでいました。現在は運動公園になっています。また、台地の北崖下には城内地区がありますが、そこは普段の住まいのある二の丸があったところです。城内地区の中央を東西に古道が延び、それに沿って掘や土塁があり、屋敷群があったと言われます。

岩崎城が作られた時期は、正確にはわかりませんが南北朝時代(1336年~1392年)にはすでにあったとおもわれます。1592年(天正20年)には、豊臣秀吉の命令により南部氏によって破壊されました。岩崎一揆のあとには、南部家臣の柏山伊勢守明助が入城しましたが、その後いつまで続いたかははっきりしません。

1600年(慶長5年)、和賀忠親は旧領地を奪い返すため一揆を起こしますが失敗し、ここ岩崎城に籠もり南部勢と激戦になりましたが翌年4月、城はついに陥落しました。

・和賀氏について(きたかみ魅力辞典)

https://kitakami-kanko.jp/kanko.php?itemid=2352&catid=73

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