斉藤 茂吉 (1882~1953)山形県生まれ
斎藤茂吉は山形県金瓶村(現在の上山市)の農家守谷家に生まれました (後に親戚の斎藤家に入籍)。東京帝大で精神医学を学び、青山脳病院院長となりましたが、早くから正岡子規に傾倒して歌を作り、1906(明治39)年伊藤左千夫に師事、「馬酔木」を経て「アララギ」に参加、左千夫を助け同誌の編集にあたりました。1913(大正2)年刊行の第一歌集『赤光』が高い評価を 得て、歌壇に止まらず広く文壇に影響を与え、茂吉は近代短歌史上最も輝かしい存在となりました。
1931(昭和6)年、長兄の死に際し郷里の葬儀に出席した後、鳴子、中尊寺、石巻、塩釜、松島、仙台を巡り、108首の連作を歌集『石泉』(1951年)に残しました。
「日は晴れて...」はその中の「中尊寺行」11首中の1首で、北上市は茂吉未踏の地ですが、当市の風土環境にふさわしいものであることから歌碑に選ばれています。サインは自筆の筆跡から採っています。
(場所:青柳児童公園 1992(平成4)年 北上市教育委員会建立)
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