高村 光太郎(1883~1956) 東京生まれ
詩人として、また彫刻家として知られる高村光太郎は、1945(昭和20)年4月、空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開しました。 敗戦後は1952(昭和27)年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)の粗末な山小屋に身を置き、過酷な自然の中で、多くの戦争詩を作った自らと激しく向かい合う、独居自炊の生活を送りました。そこから生み出された作品は、詩集『典型』(1950年)に収められています。
詩「ブランデンブルグ」は、1947(昭和22)年11月の作で、雑誌「展望」の翌年1月号に発表され、『典型』に収められました。1950(昭和25)年3月には、黒沢尻の文化ホールで講演会が開かれ、自らこの詩を朗読しています。
「ブランデンブルグ」はバッハの「ブランデンブルク協奏曲」のことで、花巻で行われたレコードコンサートでこの曲を聴いたことが、当時の日記などに記されています。 その時の感銘が深く、光太郎は山中でこの曲の幻聴を聴いたと、後に語っています。
碑文はこの詩の一部を刻んだもので、筆跡は自筆の原稿から採られています。
(場所:飛勢城址 1991(平成3)年建立)
◆この文学碑の場所...飛勢城址奥の展望台(きたかみ景観資産の一つ)下方にあります。
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