山本 健吉

黒沢尻の旅館伊勢屋に生れた玉萩は、難産のため生後間もなく母を失い、 自らも身体・言語に障害を持ちましたが、早くから文学に親しみ、「和賀新聞」「岩手毎日」などに詩や小説を多数発表、1907(明治40)年、浪漫的な新体詩集『野ばら』を刊行しました。しかし、新体詩は当時すでに時代の潮流に後れたものになっており、その優れた浪漫性はついに世に認められることはありま せんでした。やがて家業の没落にも遭い、不遇のうちにその生涯を閉じますが、啄木らの寄稿を得て文芸誌「トクサ」を刊行するなど、当時の黒沢尻の文化に大きな役割を果たしました。

山本 健吉 (1907~1988)長崎県生まれ

山本健吉氏は古典から現代文学に至るまでの幅広い分野で業績を残した文芸評論家です。戦後俳句の理論的位置づけを行い、現代俳句の隆盛にも大きな役割を果たしました。晩年には親交のあった小説家井上靖氏とともに、日本現代詩歌文学館の設立運動に尽力。同文学館振興会の最高顧問として、また詩歌文学館賞の選考委員長として北上の地を訪れています。

碑文「夢中落花」は、花の歌人として知られる西行(1118~1190)の歌集『山家集』中の歌「春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」の詞書きにある語で、山本氏が好んで揮毫された言葉です。花=桜に対する思いの深さが表れていますが、儚い夢の中で、儚く散ってゆく桜は、儚く美しく、またそれゆえに凄まじく、人生や命そのものの姿をも想起させるでしょう。

碑のデザインは山本、井上両氏ともに親交が深かった岩手出身の彫刻家舟越保武氏によるもので、詩歌文学館のモニュメント「EVE」の制作も舟越氏が手掛けられています。(場所:本石町詩歌の森公園内 1993(平成5)年 北上市教育委員会建立)

 

 

◆この文学碑の場所: 詩歌の公園内、中央部にあります。

 

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詳細情報

名称

山本 健吉

住所

〒 024-0093

岩手県北上市本石町2丁目5-6 詩歌の森公園内

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