天正19年から瀬上氏、小梁川氏、藤田氏、田手氏、古内氏と領主が替わっています。1695年(元禄8年)3月、宮城県加美郡小野田本郷から転封となった中島監物利成公(伊達家一族格)からは定着して明治まで続きました。
中島家の知行高は、2,524石(上口内村、下口内村、野手崎村、外)で領主居屋敷1軒、侍屋敷80軒、足軽屋敷100軒、山林などを拝領し、城下町をつくっていました。元禄10年には伊達藩直属の御預御足軽20人を受け入れ、飛地内に屋敷を与えられています。
城跡は、口内川左岸の独立状の丘陵で、本丸跡には武彦神社(旧明神社)があります。東南側の二の丸外側には水堀をめぐらし、北東側の丘陵続きは空堀で区切り、北川は断崖になっています。城内には、領主居屋敷、大手門、東門、西門、御厩、桝型跡など今も残っています。
口内川両岸には広く家臣屋敷があり、南部領浮田村に通ずる街道には、御境御番所が置かれていました。
・浮牛城まつりの模様
浮牛城まつり公式HP: https://www.kuchinai.org/fugyujomatsuri