瀬川 深

  • 落つる日よ
    さらば消ぬべき
    わが魂を
    雲井のきはに
    導きて去れ

 瀬川 深 (1885~1948)旧江釣子村生まれ

深は教育者で村助役でもあった瀬川早水の三男に生れ、後に同じ一族の医師 瀬川雅夫の養子となりました。旧制盛岡中学では啄木の一年後輩にあたり、それぞれの発行する同人誌を合併して「爾伎多麻(にぎたま)」を発刊、白羊会を 創設するなど、ともに活発な文芸活動を行いました。中学卒業後、京都帝大医学部に進み、小児科の医師となり、静岡県の浜松に在って晩年は俳句を作りました。


啄木とは生涯にわたって変わらぬ友情を結び、啄木の深にあてた長文の書簡にそれを垣間見ることができます。また、深が啄木に捧げた詩「鶴飼橋」1904(明治37)年と、啄木が深に贈った詩「友藻外に」(1906(明治39)年)が、ともに当時の「明星」に発表されています。
碑の歌は1903(明治36)年8月の「明星」に掲載されたもので、その意は「落ちてゆく日よ、落ちてゆくならば消え入ってしまいそうな私のこの魂を、雲の果てまで導いて去ってくれ」と、青春期の感傷を歌っています。


揮毫は元江釣子公民館館長故伊藤昭八郎さんです。
(江釣子郵便局前)

◆北上駅西口からのアクセス情報◆

タクシー 約9分 (料金:約1,880円)
徒歩
距離 約5.4km

*上記情報は北上駅西口を起点としております。

*タクシー料金は目安です。交通状況によって変わってきます。(2017年1月末現在)

アクセスマップ