沢藤幸治氏について

  • 沢藤幸治氏は1920年(大正9年)に和賀展勝会を起こし、「和賀展勝地計画」を立案、展勝地「旨趣」を発表して展勝地造園を提唱し、市民に広く呼びかけて実現しました。

(昭和4年頃の沢藤幸治氏 撮影:佐々木享二氏)

(沢藤幸治氏(手前右)と風見章氏(手前中) 撮影:佐々木享二氏)

「展勝地」の名称は、展望のきいた景勝地の意味で、沢藤幸治氏の親友だった風見章氏(元代議士)が命名したと言われています。造園事業に着手するため事業団体の名称について沢藤氏が風見氏に相談したところ、「展勝会」と即座に答え、その名称から「展勝地」と呼ばれるようになったそうです。

(昭和32年頃の沢藤幸治氏と展勝地 撮影:佐々木享二氏)

■沢藤幸治氏の足あと

出来事
1881年(明治14年)5月6日 旧和賀郡黒沢尻町町分に誕生。
1895年(明治28年) 上京
1909年(明治42年) 大阪毎日新聞社員、翌年「帝国新聞」発行
1912年(明治45年) 大阪で沢藤商店を経営
1915年(大正4年)

東京で沢藤商店を経営。「日本公論」発行。

1920年(大正9年)

「展勝形成の為めに黒沢尻反映作の一」を和賀新聞に発表。

和賀展勝会発会。展勝地「旨趣」発表。

展勝地着工。原首相から最初の寄付金を受ける。

1921年(大正10年)

東京で書籍出版業経営。

展勝地に桜を植え付けるが、水害で一部流失。

1929年(昭和4年) 町の倶楽部が発足
1934年(昭和9年) 黒沢尻町長に当選
1937年(昭和12年) 岩手県議選に当選
1960年(昭和35年) 6月9日老衰のため市内川岸の自宅で死去。79歳。

(写真協力:北上市大通 佐々木享二氏 出典:ダ・ダ・スコ 第59号)