豊田 玉萩

  • 神よ我をば何故に 日蔭の花と咲かせける 憂ひの露にぬれつゝも 一もと淋し野べの薔薇

豊田玉萩 (1875~1933)北上市(旧黒沢尻町)生まれ

豊田玉萩歌碑

黒沢尻の旅館伊勢屋に生れた玉萩は、難産のため生後間もなく母を失い、 自らも身体・言語に障害を持ちましたが、早くから文学に親しみ、「和賀新聞」「岩手毎日」などに詩や小説を多数発表、1907(明治40)年、浪漫的な新体詩集『野ばら』を刊行しました。しかし、新体詩は当時すでに時代の潮流に後れたものになっており、その優れた浪漫性はついに世に認められることはありま せんでした。やがて家業の没落にも遭い、不遇のうちにその生涯を閉じますが、啄木らの寄稿を得て文芸誌「トクサ」を刊行するなど、当時の黒沢尻の文化に大きな役割を果たしました。

碑文は『野ばら』の序詩で、自らの不遇な身の上が日陰に咲く一本の野ばらにたとえられ、哀切に歌われています。

碑のデザインは彫刻家の新関八紘氏、揮毫は玉萩の評伝『薔薇と原野』(1975年刊)の著者相澤史郎氏(北上市出身、東海大学名誉教授)によるものです。
なお、詩集『野ばら』は詩歌文学館で復刻され、同館で入手できます。
(場所:本石町児童公園 1991(平成3)年 北上市教育委員会建立)

◆北上駅西口からのアクセス情報◆

タクシー約3分 (料金:約600円)
徒歩約15分
距離約1.2km

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