成田・二子一里塚 (県指定史跡)

1604年(慶長9年)、江戸幕府によって一里塚が築かれました。原形のまま残っている一里塚は全国でもここだけと言われています。

1604年(慶長9年)、江戸幕府によって定められた全国5つの街道には、日本橋を起点にしてそれぞれ一里塚(一里=約3.92km)が築かれました。現在、奥州街道で残っている一里塚は、わずか20余箇所ほどです。成田一里塚は、日本橋から129里(506.6km)、盛岡までは10里(39.3km)の地点、二子一里塚は、日本橋から128里(502.8km)、盛岡までは11里(43.2km)の地点にあたります。

明治以降、国道が切り替えられたためにそのまま完全な形で残り、原形のまま残っているのは全国でもここだけと言われています。

 

成田一里塚

 

成田一里塚案内版

・成田一里塚

 

 

二子一里塚

・二子一里塚

 

詳細情報

名称

成田・二子一里塚 (県指定史跡)

住所

〒 024-0003

岩手県北上市成田第28地割73 成田一里塚

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