歴史・旧跡

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概要

1902(明治35)年10月、啄木は旧制盛岡中学の同級生であった黒沢尻の小澤恒一宅を訪ねました。中学を中退し、文学で身を立てるために上京する直前の時期で、後に妻となる堀合節子との恋愛に悩んでいたころのことです。二人の恋愛に関し小澤は親身になって話を聞き、ともに夜の九年橋を歩きました。啄木は後にその時のことを、小澤への大きな感謝の念を込めて日記に綴っています。

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名称
概要

岩崎城は和賀氏(中世の豪族)が最後に籠った城で、和賀川と夏油川にはさまれた台地上にあります。

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概要

浮牛城は、阿部貞任の築城で、牛三頭を生き埋めにして鎮護したと伝えられています。鎌倉時代には、この地方の国守葛西氏七党のひとり江刺氏の一族、口内氏が居城していましたが、1590年(天正18年)葛西氏が滅亡のためこの地を去りました。

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概要

北上川と和賀川が合流する北上域は、旧石器時代から人の暮らしが刻まれてきました。和賀川北岸には7世紀後半から8世紀前半にかけて造られていた古墳群が点在します。

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概要

北上川の東岸沿いで確認されている平安時代の寺院跡のひとつであり、当時のこの地方の仏教文化を考えるうえで貴重な遺跡です。

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概要

1951年(昭和26年)の発掘調査で発見された樺山遺跡(かばやまいせき)は、立石をともなう石組みの配石遺構(ストーンサークル)が注目を集め、国の指定史跡になっています。

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概要

今から4,000~5,000年前の縄文時代のムラを再現した遺跡公園。台地の上には家が、低いところには数多くの石組(配石遺構)が復元されています。石組みは、お墓とも祈りの場とも考えられています。

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概要

江釣子の語源であると言われるアイヌ語で神々の遊び場の意味。古墳をイメージした石の造形が神秘的な太古のロマンへいざないます。

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名称
概要

軽石錦苔は立花村、現在の北上市立花に生まれ、本名は佐一兵衛、別に 橘中庵、須載亭、松羅堂、五月庵、錦苔亭などと号しました。奥州俳諧の四天王に数えられた盛岡の小野素郷門の逸材で、素郷から文台(句会などの席でその主 帝者・指導者が用いる机。俳人の権威の象徴)を受け継ぎ、当時全国に名を知られた俳人です。

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