北上市の民俗芸能

  • 南部と伊達領藩内で発祥した民俗芸能は、北上市、東和町(花巻市)に集中的に伝承されている。

岩手県に伝承する民俗芸能の特色は、近世における幕藩体制によっておおよそ区分されている。南部と伊達両氏によって統治され、その境が走っている和賀地方には、両者に伝承する民俗芸能が混在し独自の文化圏を築いている。

南部領と伊達領との境が確定するのは寛永19年(1643)である。奥羽山脈の駒ケ岳山頂から太平洋岸の釜石市唐丹(とうに)湾に至る約130キロの間に、大小の塚を築いて境界線が引かれた。南部領と伊達領の間に引かれた藩境は、そこに住む人々にとって生活基盤を揺るがす厳しい現実であり、経済的にも文化的にも交流は閉ざされ、当然のことながら民俗芸能も独自の発展を見せた。

南部領と伊達領の境が引かれた和賀・胆沢両郡一帯は穀倉地帯であり、しかも秋田領に通ずる交通の要衝であった。北上川は自由に領境を往来できる川の道であり、経済や文化の交流が行われていた。北上川を通じての文化情報は、南部藩最大の港であった川岸港の集落に数多くもたらされている。もとより他領との民俗芸能の交流も行われ、川沿いの集落には本来その土地に伝承されていなかった異質の種類の民俗芸能が数多く定着した。

南部と伊達領藩内で発祥した民俗芸能は、北上市、東和町(花巻市)に集中的に伝承されている。民俗芸能の種類は多彩であり、伝承数も北上市の場合149団体という県内第1位の宝庫である。これは両藩に伝承している民俗芸能が境周辺に集中した結果であるが、これほどの芸能団体が単一自治体に伝承されている事例は、東北地方の自治体には全くない。

『神楽』は、『江戸舞神楽』を除きすべての種類が伝承している。最も多いのは修験道の山伏集団による『山伏神楽』で、全体の4割近くを占めている。

この神楽は、明治の廃仏毀釈による修験道の廃止によって、その多くは仏教色を払拭した芸能になった。


『早池峰(はやちね)神楽』もその一つで約半数がその種類である。ところが、仏教色を守り大乗仏教をもとに加持祈祷を行う神楽を『大乗(だいじょう)神楽』といい、早池峰神楽以上に普及している。そのすべてが北上市内の元の和賀郡内に伝承し、『和賀山伏(わがやまぶし)神楽』と呼ぶのはそのためである。このほか社家神職が伝承した『社風(みやぶり)神楽』が東和町に、農民の娯楽芸能として伊達領内に広まった『南部(なんぶ)神楽』が、境を越えて北上市の南部領内に伝承した。

南部藩お抱えの芸能団体『七軒丁』によって南部領内に広まった『大(だい)神楽』は、北上市内には文化3年(1806)に伝授されたという記録が残っている。

寒冷地帯に領地を持つ南部藩では稲作地帯をいかに確保するか課題であった。北上盆地のうち面積が広く耕作可能な花巻以南から領境までを水田化するために、和賀川から用水を引く努力が行われた。大規模な藩直営の開田、失敗を繰り返しながら花巻・北上地方は南部藩最大の穀倉地帯に生まれ変わった。増税による百姓一揆が起こり、指導者が処刑されるような状況下で、『田植踊』が広まった。神楽に次いで伝承数が多く、すべて小正月に豊作を予祝する祈りの芸能として子供たちが中心となって演じる。

『念仏踊」は、和賀地方ではすべて『剣舞(けんばい) 』の名で呼んでいる。『剣』を持って踊るための名称ではなく、鎮魂のために大地を踏みしめる動作からこの名称が起こったと伝える。修験道の呪法『反閇(へんばい)』がその語源であり、芸能の発祥も山伏神楽と同様に修験道に求めている。この念仏踊りは、大別して『大念仏系』と『阿修羅踊系』に分けられるが、前者はすべて南部領内に伝承しており、後者の場合は仮面をつけるかどうかで南部領と伊達領の伝承に区分される。

南部領では仮面はなく、伊達領ではすべて仮面をつけて踊っている。ところが、北上市に伝承の念仏剣舞の場合、そのすべてが南部領に伝承したが、大念仏系の2団体を除き阿修羅系は仮面をつけて踊る民俗芸能である。南部領内にはないはずの民俗芸能が、藩境のまち北上市の南部領には伝承されている。

念仏剣舞のうち一般に『鬼剣舞』と呼んでいる種類の芸能は、基本の演目から曲芸的演目までその所作や音楽のリズムが現代にも通ずる完成された芸を持っており、岩手県の代表的民俗芸能としてその人気は高い。

伊達領内から流入した民俗芸能の1つに『鹿(しし)踊』がある。和賀地方に伝承されているものは、『太鼓系鹿踊』に分類される。南部領内には、中断や廃絶した太鼓系鹿踊が秘伝書や供養碑によって14団体確認されており、念仏踊と共に人気の高い民俗芸能であったことが偲ばれる。

風流芸能に『奴踊(やっこおどり)』」 がある。領主に随行する足軽が、道中で槍や道具類を手際よくさばきながら行進する様を芸能化したものである。現在伝承数は少ないが、かつては、念仏踊・鹿踊・奴踊を3踊と呼び、同じ集落で伝承していた。

『盆踊』はすべて「さんさ踊」であり南部領内のみに伝承した。
一方、伊達領内には「祝福芸」として口内甚句が伝えられるが、これは江刺甚句まつりの基本踊の源流である。

南部と伊達両藩の境にある和賀地方には、両藩独自の民俗芸能の他に他領から流入し定着した民俗芸能も数多い。江戸時代には陸上における藩境の警護が厳しかったこともあり、北上川という「川の道」が、民俗芸能の主な伝承路ではなかったかと考えられる。


・鬼剣舞(おにけんばい)




太刀や扇を使い、頭や腰を巧みに動かしながら勇壮に、ときには華麗に踊る子の芸能は、長い伝承の歴史の中で愛された庶民の芸術作品といえます。
鬼剣舞は仮面をつける脱垂(ぬぎだれ)剣舞の一種です。その祖は大宝年間(701~704年)に修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が念仏を広めるために、念仏を唱えながら踊ったのがはじまりとも言われるなど、諸説あります。しかし、伝承の過程で蝦夷の豪族安倍氏との関わりなどが加わり、先祖供養と共に凱旋踊りとして踊られるようになり、他の剣舞と芸態が大きく変わって、種類を別に分けてます。

・神楽(かぐら)

岩手県に伝承されている神楽の場合、山岳信仰を中心とした修験道の行者が村々に定着し、その布教の手段として修験者である山伏たちが伝承した「山伏神楽」が最も多く伝えられています。
修験道を源にしながらも、神仏分離によって多くの山伏神楽は神道の影響により仏教色を払拭しました。しかし、今なお発祥当時の芸態を残しているのが「大乗神楽」です。
山伏神楽を基本としながらも、演ずる方法にも工夫をこらして物語性を持たせ、観客を楽しませるような内容に作り変えた神楽があります。セリフ神楽とも呼ばれ、「南部神楽」として分類します。

 ・鹿踊(ししおどり)

鹿踊は鹿の供養のために始められたとされ、念仏踊として伝承されてきましたが、祈祷の目的が多岐にわたり、また芸風にも創作の手が加えられて、住民の娯楽の芸態に変化していきました。
岩手県内の鹿踊は、太鼓系鹿踊と幕踊系鹿踊の2種類が伝承されています。太鼓系鹿踊は伊達領内、幕踊系鹿踊は南部領内に伝承されています。
太鼓系鹿踊は、踊り手自身が自ら太鼓を打ち、歌も歌い、しかも重さ15キロの装束を身につけて踊る点であり一人三役をこなす芸能である。

踊り手は8人で構成され、踊手の太鼓以外の囃子方はつきません。


幕踊系鹿踊は、踊り手の全身を幕で覆い、お囃子が別につき、その伴奏によって幕を巧みに操って踊る鹿踊りです。

【参考資料】

炎の伝承 "北上・みちのく芸能まつりの軌跡"
北上民俗芸能総覧
いわて民俗芸能入門